2005-01-01から1年間の記事一覧

1982年のW杯スペイン大会3位という成績を最後にしばらく低迷の時期が続き、前回大会で久々の国際舞台復帰を果たしたポーランド。今回も見事に予選を通過したが、タレントを揃える前線や中盤に比べ、DF陣は選手層の薄さやレギュラーのレベルアップが…

これほど「心・技・体」のバランスがとれている選手も珍しいかもしれない。ピンチにも決して動じない強靭なメンタル。安定感抜群のゴールキーピングで淡々と仕事をこなし、怪我にも強い。 世界的に見ても非常に高いレベルでGKとしてのの資質を備えており、一…

ご存知日本代表に常時名を連ねるベテランだ。高いレベルのGKを輩出することで知られる熊本・大津高校出身で、あの「元気が出るテレビ」のサッカー予備校企画にも出演した経験も。 日立製作所(柏レイソルの前身)に入社後、若手GK南雄太(元日本ユース、五…

1963年生まれだが、世界デビューは94年のW杯。初戦のブルガリア戦、ゲーム直前に円陣を組む選手たちと、その輪の中心に座るルファイの姿が印象的であった。 しかし、GKとしてのスキルはそれほど高くない。例えば94年W杯決勝トーナメント1回戦。イタ…

1979年生まれの26歳。もともとは母国ブラジルのフラメンゴ所属で、インテル(イタリア)と契約を交わしたが、外国人枠の問題で一旦キエーボに入団した(所有権はインテル)。今シーズンから本格的にインテルに加入したばかりだが、それまで不動の守護…

2006年W杯で、初出場国が5カ国中4枠を占めたアフリカ勢。その中でも前回大会ベスト8のセネガルに競り勝ったトーゴは、ほとんど無名のチームだっただけに注目される存在だ。 トーゴは西アフリカに位置し、同じく初出場を決めたガーナ、Wユース・オラ…

1962年に静岡県で生まれ、浜名高校から愛知学院大学に進学、その後日産自動車を経て1993年、Jリーグ開幕の流れをうけて日産FC横浜マリノス(現横浜Fマリノス)の正ゴールキーパーに。 冷静沈着なゴールキーピングはDFラインに安定感をもたらし、キャ…

ブルガリアのゴールキーパーの中でも、海外進出をいち早く果たし、また主将として出場した94年のW杯で4位に躍進する原動力にもなった。 80年代末期から90年代初頭にかけて押し寄せた東ヨーロッパの民主化の波は、ブルガリアにも例外なく及んだ。共産党…

フレイは若い頃から将来を嘱望されているGKである。早い段階でフランスを代表するGKといわれ、代表招集も時間の問題とされていた。積極的なゴールキーピングが持ち味で、守備範囲も広いのだが、直感と本能的な判断によるプレーに依存している部分も大き…

1990年のイタリアW杯でベスト8に躍進し、1992年のEUROでは優勝候補にも挙げられていたユーゴスラビア代表。監督自ら“ドリームチーム”と豪語するタレント揃いの陣容であったが、国内の民族紛争がこれまでの実績を崩壊させた。 代表チームは、長期間…

1950年代に“マジック・マジャール”の異名をとり、オフェンスの破壊力にものをいわせ、世界中から恐れられたハンガリー代表。今となっては東欧の周辺諸国に比べてもレベルの低下は著しく、見る影もない凋落ぶりであるが、そんな中で数少ないインターナシ…

若干20歳にして古豪ロシア代表のゴールマウスに君臨する男、それがアキンフェエフだ。所属する CSKAモスクワでは、すでにUEFA杯を制しヨーロッパ戦線の舞台は経験済みで、将来を有望視されている。 16歳でCSKAのトップチームにデビュー。17歳でレ…

12歳のときに本格的にゴールキーパーを志したというコルドバ。18歳のときに母国のアトレティコ・ナシオナルでプロとしてのキャリアをスタートさせ、現在はベシクタシュ(トルコ)で活躍している南米屈指のゴールキーパーだ。コロンビア代表として199…

今年6月までポルトガル1部のモレイレンセでプレーしていたが自由契約となり、現在はポルトガルで家族が経営する材木会社でアルバイト。 現在、昼は米国やブラジルなど世界各国との輸出入にかかわる営業マン。夜は3部リーグの地元チームで練習している。「…

レバークーゼン出身で、地元からキャリアをスタートさせた。96年のシーズンから強豪バイエルン・ミュンヘンに移籍したが、代表の正GKであるオリバー・カーンの陰に隠れ、なかなか出場機会に恵まれなかった。 結局、貴重なバックアッパーの域から脱け出すこ…

1969年生まれ。イギリス・ロンドン出身ではあるが、先頃、バーレーンとの壮絶な大陸間プレーオフの末ドイツW杯出場を果たしたトリニダード・トバゴ代表のGKとして活躍している。 トリニダード・トバゴ共和国は、南米ベネズエラのすぐ沖合いにあるトリ…

豹のようにしなやかな身のこなしと、抜群の反射神経で90年代前半に世界の第一人者として君臨した。 世界デビューは31歳で迎えた90年イタリアW杯と、ゴールキーパーにしては円熟期であった。予選リーグでのスペイン戦で、敗れはしたもののスーパーセー…

1986年のメキシコW杯。南米の強豪アルゼンチンは“神の子”ディエゴ・マラドーナを擁し、世界NO.1に輝いた。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ1990年イタリアW杯でも、当然のごとく優勝候補に挙げられていたが、オープニングゲームで…

スイス代表は、2006年ドイツW杯ヨーロッパ予選でフランスに次いでグループ2位となり、さらにトルコとの(さまざまな意味での)壮絶なプレーオフを制し、3大会12年ぶりに桧舞台を戦うこととなった 現在の代表チームは、アラン・ズッターやチリアコ・…

90年イタリアW杯で世界を席巻した、旧ユーゴスラビア代表の正GK。 長いリーチを活かし、ジャンプすればゴールマウスのほぼ全域を捕らえることができる身体能力の持ち主だが、時折大ポカも・・。また、フィールドスキルも凡庸で、ある意味ルール改正前という…

2004年に引退したが、闘争心旺盛なグラアニ族の血を引くパラグアイサッカーの象徴的存在として君臨。世界的に注目されるようなったのはキャリアの後期になってからであるが、パラグアイ国内ではユース代表にも選出されるなど実力は早くから評価されてい…

私が今まで見てきたオランダ代表GKの中でも、最もプレゼンス(=存在感)を放つ男だといえる。 闘志を前面に押し出したゴールキーピングは迫力満点!また相手の足元に飛び込むことを全く恐れないプレーは圧巻の一言。 80年代後半から90年代前半にかけて大活躍…

90年代、セレソン・ブラジレイロ(ブラジル代表)のゴールを守り続けた人格者。 世界の舞台に初登場したのは90年のイタリアW杯。弱冠24歳ながら、俊敏なステップワークと安定したキャッチングで、過去の大会でセレソンの弱点とされていたGKの不安を払拭する…

現在のゴールキーパーの原型を打ち出したといっていいだろう。それまではゴールに張り付いてシュートを止めるのがキーパーの役割とされていたが、この選手は積極的にペナルティエリアを飛び出してボールを処理、時には攻撃の組み立てにも参加した。また”サソ…

ブラッド・フリーデルを「剛」とするなら、同じアメリカでも、ケラーは「柔」といえそうだ。 性格的にはややムラっ気があるものの、36歳ながら恐るべきレスポンスの速さでゴールマウスに鍵をかけてしまう。 若い頃からその能力は高く評価され、早々とイン…

193センチの体駆を活かし、コンタクトプレーやハイボールに強さを発揮する、アメリカ屈指のゴールキーパー。 意外に知られていないことだか、アメリカは世界的に比較しても、ゴールキーパーのレベルは決して低くない。むしろ、トップクラスのキーパーはワー…

かつて旧ユーゴスラビア代表チームを率い、ドラガン・ストイコビッチやロベルト・プロシネツキ、デヤン・サビチェビッチら綺羅星のスター達を自在に操り’90イタリアW杯でベスト8入りを果たした名将イビカ・オシム。彼がJリーグのジェフユナイテッド千葉…

しなやかな身のこなしと、卓越した反射神経をフルに活かしたゴールキーピングで一世を風靡した、メキシコの英雄。 公称170センチ(実際は168ともいわれている)という、ゴールキーパーとしては「超小柄」な部類であったが、何より素早いムービングと抜群のス…

各国代表選手の中で最多のキャップ数を誇る、サウジアラビアのみならずアジア歴代の中でも最高のゴールキーパーの一人。 もともとはFWの選手だったそうだが、動物的な反射神経や、長い手足を活かしたゴールキーピングが徐々にスポットライトを浴びるように…

所属するバイエル・レバークーゼンではPKやFKも担当している。ブンデスリーガでは得点ランキングの上位にもランク入りした経験を持つ。 勿論、ゴールキーピングのほうも一流で、守備範囲はそれほど広くないものの、好不調の波が少ないのが大きなウリだ。…