1998年の地元開催ワールドカップで優勝し、2000年の欧州選手権優勝、さらにはグレゴリー・クペ(クラブ・アトレティコ・マドリー=スペイン)との激しいポジション争いを制して準優勝に貢献した2006年ワールドカップなどを経験した、元フランス代表GKファビ…

フットボール関係者の中でよく使われるフレーズに、「ゴールキーパーには30歳を越えてからピークが訪れる」というものがある。2006年のウクライナ年間最優秀ゴールキーパーにも選出された(通算で5度目の受賞)ショフコフスキーはまさにその典型とい…

アフリカ系アメリカ人の父とハンガリー人の母の間に生まれたハワードは、子どものころには決して経済的に裕福とは言えない生活をしていた。しかし、ハイスクール時代にサッカーと出会った。190センチと長身のゴールキーパーであるハワードは、ハイスクー…

フットボーラーに限らず、プライベートで問題が起こった選手はそのパフォーマンスに多大な影響を及ぼすものだ。彼の場合、代表ではユースカテゴリーから招集され、フル代表のレギュラーも張っているのだが、クラブレベルでの活躍は代表のそれに比較できるも…

メキシコは中南米に位置するW杯の常連国だが、ゴールキーパーに関しても名選手を輩出する国として知られている。W杯史上初めて5大会に出場したアントニオ・カルバハル、地元開催の86年大会ベスト8の立役者パブロ・ラリオス、そして、アカプルコ出身で…

スペインは、90年代以降だけでもU−17やU−19で8回欧州を制覇していることからもわかるようにユース年代では「タレントの宝庫」として知られています。この実績の下地として、自国選手の育成には概して熱心であり、古くはアスレティック・ビルバオや…

スペインが世界に誇る名門レアル・マドリー。そのゴールマウスを若くして預かっている。 マドリーの生え抜きメンバーとしてユース年代から育成指導を受け、1999年のFIFAワールドユースにも帯同(現在アスレティック・ビルバオに所属するダニエル・ア…

1990年代、世界最高のゴールキーパーと評価され、デンマーク代表とマンチェスター・ユナイテッド(イングランドの)黄金期を支えたピーター・シュマイケル。カスパーはそんな偉大な父親を持つ19歳だ。 U−19デンマーク代表にも選出され、現在は新加…

2006年ドイツW杯の最終登録メンバーに滑り込んだ逸材。2004年のアテネ五輪で無失点優勝という快挙を成し遂げ、また昨年のコンフェデレーションズカップ準優勝の立役者ともなったヘルマン・ルクス(リーベルプレート)を押しのけての代表入りには驚…

国内のボアビスタに7年間所属し、リーグ優勝も経験した後、名門スポルティング・リスボンへ。代表チームでも2001年からレギュラークラスに昇格し、2002年も当然背番号1を背負うものと思われたが、前レギュラーのヴィトール・バイア(FCポルト)…

サンチェスが今まで陽の目を見ることがなかったのは、メキシコサッカー史上最も「記憶」に残るゴールキーパー、ホルヘ・カンポスの存在を追い続けなければならなかったからだ。 1996年のアトランタ五輪では、地区予選から圧倒的なプレゼンスを発揮し続け…

さて、今回からは、世界各国のゴールキーパー育成システムについて触れていきます。日本でも、GKプロジェクトや都道府県ごとにGKスクール、あるいはGKクリニックが開催されるようになったり、部活動やクラブチームでGKコーチを配するケースも多くな…

イェンス・レーマンは、ドイツ・エッセン出身の同国代表であり、イングランドプレミアリーグ・アーセナルに所属している。1988年、ドイツブンデスリーガ、シャルケ04でキャリアをスタート。チームの守護神として君臨し、1996-97シーズンにUEFAカップ優勝も経…

屈辱のJ2降格から、5年ぶりに復帰を果たしたアビスパ福岡。松田浩監督の下「ディシプリン(=規律)」を重視したサッカーで、J2でも素晴らしい成績を収めたが、チームを最後尾から鼓舞し続け、昇格の原動力となったのが水谷だ。 1980年生まれの彼は…

現役引退後、ヴェルディの下部組織から指導者としてのスタートを切り、東北地区トレセン、U-16代表ゴールキーパーコーチを経て、今年度から、東京ヴェルディ1969トップチームのゴールキーパーコーチに就任した。 岩手県の遠野高校(先の高校選手権でもベスト4…

ゴールキーパーを志したのは、地元のサッカークラブでゴールキーパーをやっていた兄の影響だとか。フランス代表ではグレゴリー・クペ(オリンピック・リヨン)、ファビアン・バルテス(オリンピック・マルセイユ)に次ぐ第3ゴールキーパーという扱いだが、所属…

イタリアは、欧州のみならず世界でもトップクラスのゴールキーパー名産地である。現段階(2006年2月)で、ドイツW杯に参戦するアズーリ(イタリア代表)のゴールキーパーに関する序列はというと、世界最高の名手といわれるジャンルイジ・ブッフォン(ユベントス)…

フランク・ライカールト監督就任後のFCバルセロナにおいて、抜群のレスポンスと闘志を前面に押し出したゴールキーピングで不動の守護神として活躍している。 バルセロナのカンテラ(下部組織)でサッカーに打ち込める環境を与えられたが、極度のホームシックに…

母国の先輩ヘルマン・ブルゴス(ロック・アーティストとしても有名)の後継者として、スペインの名門アトレチコ・マドリーで活躍するゴールキーパー。2005―2006シーズンでは、リーガ・エスパニョーラで首位をひた走ったFCバルセロナに2度土をつけた。 代表初…

2004年まで日本で開催されていた、クラブレベルの「世界一決定戦」TOYOTA CUP。その最後の王者は、オンセ・カルダス(コロンビア)をPK戦で退けたFCポルト(ポルトガル)であった。1981年に始まり、南米と欧州それぞれの大陸王者の対戦が世界の注…

早くからスペイン代表に招集されていたが、’86年W杯から4大会連続出場の偉大なる前任者、アンドニ・スビサレータの後塵を拝し続け、“無敵艦隊”のレギュラーとして本格的にメジャーデビューしたのはEURO2000からであった。 ベテランならではの安定感でDFラ…

先日のアフリカ・ネーションズカップにも出場したコートジボワールの第一人者。チュニジアの強豪クラブであるエスペランスに所属している。 元々はハンドボールのゴールキーパーで、ボール捌きは一級品。派手さはないが淡々とゴールを守るたたずまいはどこか…

2002年のクロアチア最優秀選手。同年開催された韓日W杯でも、グループリーグ敗退ながら世界デビューを果たした。192センチの長身を活かし、ハイボールに絶対の自信を持つ。また、至近距離のシュートに対する反応も抜群だが、レギュラーと目されていたEURO200…

ドイツW杯欧州予選序盤は招集がかからなかったが、後半の2試合でベンチ入りを果たし、祖国の首都キエフで行われた日本戦にも出場した。 代表経験は浅いものの、不動の守護神ショフコフスキーがクラブ(ディナモ・キエフ)での試合中に鎖骨を骨折する大怪我を負…

派手さはないが、堅実なゴールキーピングで長年に活躍したGK。ジュニアユース年代より代表経験を持ち、国見高校では1年からレギュラーを張り、3年連続でベスト4入りするなど輝かしい実績を誇る。 卒業後は明治大学へ進学し、アビスパ福岡へ入団。ファース…

森下申一、松井清隆、松永成立と、「豊作」が続いた80年代〜90年代の日本代表GK。その系譜を受け継ぐに相応しい大器として注目された。 島中学時代から、東海地区では名を轟かせていたが、全国的に知れ渡るようになったのは岐阜工業高校時代に冬の高校選…

2005年のFIFA世界クラブ選手権(トヨタカップ・ジャパン)で再来日を果たし、見事3度目の世界一を勝ち取ったブラジルのサンパウロFC。セーニはそんな南米屈指のクラブで、生え抜きとして10年以上活躍している。 サンパウロFCは、’92年のト…

先頃まで(2006年1月)、Jリーグ・清水エスパルスのゴールキーパーコーチを務め、現在は普及部に所属している。 浦和と並ぶサッカーどころである静岡は、ここ数年で高校選手権に新鋭の学校が出場するケースが多くなっている。常葉学園橘高校(女優・長…

中学時代はゴールキーパーの経験がなかったが、広島皆実高校進学後にゴールキーパーに転向。身体能力の高さが評価され日本ユース代表にも選出された。 広島入団後は、元日本代表の前川和也に次ぐセカンドキーパーの位置からなかなか抜け出せなかったが、持ち…

奈良・平群中から長崎の名門、国見高校へ越境入学。卒業後ガンバ大阪に入団し、現在は浦和で同学年の山岸範宏(熊谷高校→中京大学)との激しい正GK争いのなか、がっちりポジションをキープしている。 彼のプレーにおける最大のストロングポイントは、キッ…