dragan2006-11-08

スペインが世界に誇る名門レアル・マドリー。そのゴールマウスを若くして預かっている。

 マドリーの生え抜きメンバーとしてユース年代から育成指導を受け、1999年のFIFAワールドユースにも帯同(現在アスレティック・ビルバオに所属するダニエル・アランスビアの控えではあったが、スペインは日本を決勝で4−0と粉砕している)。さらに弱冠19歳でレアルトップチームのレギュラーポジションを獲得。そう、ブーヨやボド・イルクナー(元ドイツ代表)ら錚々たるゴールキーパーの系譜に彼の名も刻まれたのである。

 そのシーズンに欧州チャンピオンズリーグ優勝を果たし、10代にして早くもクラブレベル最高峰の戦いに勝利。翌シーズンにはリーガ・エスパニョーラ優勝も経験した。

 ところが、2001/02シーズンに入って、彼のポテンシャルからは考えられないようなミスを連発するようになる。そしてビセンテ・デル・ボスケ監督の信頼を失うと、リーグ戦後半にはベンチに座る機会が多くなっていた。また欧州戦線においても、レアルはこのシーズンにチャンピオンズリーグ決勝まで進んだが、ファイナルのバイエル・レバークーゼン戦にもスタメンに彼の名は無かった。

 しかし、運命の歯車はどうかみ合うかわからない。スコットランドグラスゴーで行なわれたこの試合中に出場していたGKセサールが負傷退場のアクシデント。ウォーミングアップもほとんどしていなかったカシージャスに急遽出番が回ってきた。にもかかわらず彼はMAXレベルのゴールキーピングを観衆に披露。レバークーゼンの猛攻をほとんど一人で凌ぎ切り、見事マドリーを欧州制覇に導いた。

 このゲームをきっかけに、カシージャスは再びマドリーのゴールマウスに君臨するようになる。そして2000年の欧州選手権、2002年のワールドカップではついにスペイン代表のメンバーにも選出された。
 
 2002年は、まだ21歳ということもありセカンドゴールキーパーとしてワールドカップを迎えるはずであったが、ファーストチョイスであったはずのサンチャゴ・カニサレスバレンシア)が直前の怪我(香水のビンで足のかかとを負傷)に見舞われピッチに立つことに。そしてスペインをベスト8に押し上げる活躍を見せた。圧巻だったのは決勝トーナメント一回戦のアイルランド戦。PK戦にもつれこむ接戦となったが、カシージャスが3本をストップする離れ業をやってのけた。しかし4年後のドイツ大会ではベスト16でフランスに敗れ、決して満足のいく成績ではなかった。

 彼の持ち味は、ジーダ同様「レスポンスの速さ」にある。その他のスキル(コンセントレーション、コーチングなど)も一流の領域にあるのだがとりわけ反射神経の鋭さが際立つのだ。レアル自体、オフェンスは世界トップクラスであっても守備のバランスが非常に悪い。しかし、そんなレアルが常にリーガ・エスパニョーラで上位争いを演じているのはカシージャスによるところが大きいのは紛れも無い事実だ。

 ヴィクトール・バルデス(FCバルセロナ)、ホセ・マヌエル・レイナリバプールイングランド)などスペインのゴールキーパーには人材は多いが、まだまだカシージャスの時代が続きそうな気配である。