dragan2007-01-01


 フットボーラーに限らず、プライベートで問題が起こった選手はそのパフォーマンスに多大な影響を及ぼすものだ。彼の場合、代表ではユースカテゴリーから招集され、フル代表のレギュラーも張っているのだが、クラブレベルでの活躍は代表のそれに比較できるものではないのだ。

 国内の名門ラピド・ブカレストで活躍し、オランダのアヤックスへ移籍したが怪我の影響でディナモ・ブカレストへレンタルに。アヤックスへ復帰した後2シーズンはレギュラーとであったが、2004−2005シーズンは生え抜きの若手マールテン・ステケレンブルフ(オランダ代表)やハンス・フォンク(南アフリカ代表)とのポジション争いに敗れた。

 時を前後して元恋人との親権問題やそれに絡む裁判での逆転敗訴、アルコール依存症など様々な悪影響が彼の周りを取り囲むことになる。

 光が差し込んだのは、パルマに移籍したセバスティアン・フレイ(フランス)に代わる正ゴールキーパー候補を探していたフィオレンティーナからオファーがあった時だ。もともと能力は高く、一部には「ルーマニア史上最高のゴールキーパー」との評価も。代表の前任者ボグダン・ステレアの幻影を振り払うのは容易ではないが、まだ29歳。持ち前の「プレゼンス=存在感」を武器に成長が期待される。

*2007年1月、母国のディナモ・ブカレストと3年半の契約を結んだ。